無理やり取った有給を利用し、親父を連れて山形まで墓参りに行きました。
山形には我があきぶー家先祖代々の墓があり、何かとお世話になっている親父方の親戚も健在です。
小雨降りしきる中、山形到着。墓参りを済ませて住職にご挨拶。
出された茶菓子食いすぎて、早くも胃もたれ気味です。
その後親戚のお宅にお邪魔し、さんざんっぱらご馳走になりました。
蕎麦打ち名人の叔母さん。私のリクエストに答えてくださり、早速腕を奮ってくれました。
こうして打ちあがった野性味溢れる香り高い蕎麦、最高の味でした。
東北の人はとにかくよく食べるんです。東京の蕎麦屋のショボ~イけち臭い盛りとは別次元。
こと山形の蕎麦は板そばと呼ばれる豪快な“盛り” とワイルドな歯ごたえが特徴。
私は蕎麦が大好物で、特に真っ黒い田舎そばを辛味大根で食う信州そばが好み。
都内でよくある、更科みたいなお上品なのはノーグッドです。
軒並み盛りがしょぼいのも非常に腹起だしい。そばくらい盛大に食わせろっての。
そんな私にとって叔母さんの蕎麦は最高の贈り物でした。
手作りのご当地名物“芋煮”、叔父さん叔母さんが摘んできてくださった見事なぜんまい。
ハートフルなおもてなしをいただき、前回の大失態 も忘れて冷酒も進み・・・
親父ともどもご満悦。最高のひと時を過ごさせていただきました(^^)v
翌日、私の「紅葉が見たい」とのド厚かましい要望で、ドライブに連れてってくださいました。
来年のNHK大河ドラマ「天地人」ののぼりはためく霞城公園 を見物し、一路米沢へ。
米沢は叔父ご一家が長年住まれた町で、私もガキの頃何度か遊びに行ってます(記憶無し)
意外でしたが、米沢の人は昔からよくラーメンを食べるそうです。
ご当地「米沢ラーメン」、その中でも一番人気のお店 に連れてってくださいました。
海産乾物の味が際立つ澄んだあっさり系の醤油ラーメン。
具材を見ると、なるとに海苔。東京ラーメン必須アイテムが鎮座してます。
そもそも東京ラーメンってもんは、戦後華僑の人々が広めた中華圏文化の影響を受けていない
戦前からの日本独自の食い物だと思います。
昔の人が言うところの「シナそば」って奴。
そのデフォルトは、都内ではラーメン屋ではなく蕎麦屋で今でも味わえます。
普通の蕎麦屋になぜか必ずあるラーメンの文字。蕎麦屋で使う乾物の出汁で作った和製ラーメン。
このお店のラーメンも、そっち系統の昔懐かしい旨さでした。
そういえば、感覚的に山形市内って、中華料理屋が少ないな~と感じてました。
事実そうであれば、この地に戦後華僑の流入が少なかった事の証明になります。
おそらく米沢ラーメンも、戦前から脈々と受け継がれて今に至っているのでしょう。
この「ひらま」、老若男女入り乱れて大盛況のお店でした。
その後食後のスイーツ(笑)で叔母さん御推奨の酒まんじゅう屋で買い食い。
飾り気のかけらも無い店頭に、これまた愛嬌の無いディスプレイ?
その横では職人が一人黙々とまんじゅうを包み、蒸し上げてます。
旨かったです。ガキの頃親父と神田明神に散歩に行き、当時境内にあった茶店で
甘酒&酒まんじゅうを食べさせてもらった思い出がしきりによぎりました。
ちなみに道路挟んだ真向かいにも同じような店が。
でも良く見ると方や本舗を謳い、店名の書体も違うし。仲悪いの???
その後喜多方に抜け(ちなみに喜多方ラーメンのような“人為的に作られた名物”には興味ありません)
裏磐梯桧原湖へ。
時期的に見ごろは過ぎてましたが、それでも所々に言葉を失うような見事な光景が。
途中道の駅なんかに立ち寄ると、地元の見事な野菜が売ってるんです。
それを叔母さんが、どでかい大根を2本とか、かなりの量を買っていきます。
都内周辺の人って、住環境のせいもあるのでしょう。基本的に短期間で食べきる量しか
買わない人がほとんどじゃないかと思います。せいぜい1週間分とか。
東北の人は、外出もままならない長く厳しい冬を越える生活の知恵なのでしょう。
沢山買って漬物等に加工して上手に保存し、長期に渡って食べるスタイル。
どちらがいいとかじゃなく、それぞれ異なる生活環境に適合した、合理的な生活形態ですね。
そして西吾妻スカイバレーを抜けて米沢白布峠。今宵のお宿に到着~